日本に定着したコーヒー文化
明治後期になると、コーヒーは一般的な飲み物になっていきました。日本橋の「メイゾン鴻の巣」や銀座の「カフェ・パウリスタ」、「カフェ・ライオン」といったカフェが順次開店していきました。
これらのカフェは、明治の文化人たちがコーヒーを飲みながら、芸術や文化を論ずるサロンとしての役割を果たしたのです。
メイゾン鴻の巣
1910年に日本橋に開店したコーヒー店です。木下杢太郎、吉井勇などが通った店として知られています。
カフェ・プランタン
洋画家松山省三が1911年に銀座に開店しました。プランタンというのはフランス語で「春」を意味します。劇作家の小山内薫が命名したといわれています。
カフェーパウリスタ
コーヒーの大衆化に大きく貢献したのはカフェーパウリスタでしょう。
水野龍が東京の銀座に開店後、大阪や名古屋、仙台と支店が開かれていき、大正時代の最盛期には全国に20余りの支店を数えるほどになっていました。
カフェーパウリスタの人気の秘密はその手頃なコーヒーの値段にありました。カフェ・プランタンのコーヒーが当時15銭だったときに、パウリスタでは5銭で飲むことができたのです。
敵国飲料となったコーヒー
昭和に入ってコーヒーの需要は高まっていきました。1937年、コーヒー輸入量は約850トンを突破し、戦前のピークを記録しました。
ところが、第二次世界大戦でコーヒーは敵国飲料として輸入停止になってしまうのです。
そんな中、「代用コーヒー」と呼ばれるコーヒーに似せた飲料を、コーヒー愛好家たちは飲むようになりました。代用コーヒーの原料は、タンポポの根や、チューリップの根、百合の根、どんぐりの実など、さまざまなものがありました。
終戦後の喫茶店ブーム
終戦後、コーヒーの輸入が再開されると、喫茶店ブームが起こりました。
コーヒーは現在、私たちの生活に欠かせない文化の一つになっているといえるでしょう。