イスラム世界からヨーロッパに伝わったコーヒー
コーヒーはエチオピアからエジプト、そして現在のイエメンに伝わり、そこで初めて焙煎されて、16世紀にはトルコ、ペルシア、アフリカ北部にも伝わっていったと考えられています。
また、イスラム世界からヨーロッパにも伝わりましたが、そこには紆余曲折があったのです。
クレメンス8世によるコーヒー洗礼
1615年にコーヒーがトルコからベネチアに伝わった当初、「コーヒーを飲むべきか、飲まざるべきか」ということをめぐって論争が巻き起こりました。
ローマに伝わったコーヒーは、イスラム教徒の飲み物であって、キリスト教徒は飲むべきではないとされたのです。
ところが、当時のローマ教皇クレメンス8世は、「悪魔の飲み物なのにおいしいのはどういうことか。こんなにおいしいものを異教徒に独占させておくものか」ということで、コーヒーに洗礼を施して、キリスト教徒の飲み物として受け入れたのでした。
この出来事はコーヒーがヨーロッパに広まるきっかけとなりました。
ヨーロッパのコーヒーハウス
その後、コーヒーはヨーロッパ全域に広がっていきました。
1645年にはベネチアにヨーロッパで初のコーヒーハウスが開店しました。
ほどなくして、イタリアではナポリやローマ、ミラノ、トリノ、フィレンツェ、ジェノヴァといった地域でコーヒーハウスが続々と開店していきました。
同時期にイギリスでもコーヒーハウスが多く作られて、社交場としての人気が高まっていきました。
男たちはコーヒーハウスで政治や文学について議論を交わしたり、商売に励んだのです。
しかし、当時のコーヒーハウスは女性が入ってはならないものでした。そのため、1674年には、主婦たちによって、コーヒーハウスの閉鎖を求める嘆願書が出されるなどということもありました。
現在、紅茶の有名なブランドである英国のトワイニングも、最初、ロンドンで開業したときはコーヒーハウスでした。しかし、先に述べた「コーヒーハウスは女人禁制」ということで主婦の反感を買うことから、トワイニングはコーヒーハウスからティーハウスに切り替えたのです。
パリのカフェテラス
フランスでもコーヒーハウスは隆盛を極めましたが、中でもパリのカフェテラスの登場は文化的にも非常に重要でしょう。
パリのカフェテラスは、タバコの煙によって店内が汚れたり、火事になることを嫌悪したカフェのオーナーが、カフェテラスを作ったところ、これが客に受けて、パリの他の店も模倣するようになったということです。
世界に広がるコーヒー
17世紀の終わり頃には、インドやインド諸島へコーヒーの苗木が持ち込まれ栽培が開始されました。その後、18世紀にはアメリカ大陸へコーヒーが伝わり、19世紀になるとアフリカにも栽培地域が広がりました。